学位論文要旨

岩間暁子/立教大学教授(論文博士)

現代日本における女性の就業と家族の変容に関する社会学的研究

-社会階層とジェンダーの視点から-

岩間暁子氏による学位請求論文『現代日本における女性の就業と家族の変容に関する社会学的研究-社会階層とジェンダーの視点から-』の研究課題は、バブル経済崩壊後の日本社会が大きな構造転換期を迎え、女性の就業の重要性が家庭内外で高まっている現状をふまえつつ、社会階層とジェンダーに着目して「女性の就業が家族の姿をどのように変容させているのか」について理論的実証的に検討することである。

第2部の実証分析に先立つ<第1部 社会階層と家族をめぐる理論的構造的背景>は4つの章から構成されている。

まず、第1章では研究課題と研究手法、研究史上の意義、論文の構成、分析に用いるデータ、階層概念の定義、研究の限界といった論文の大枠が説明されている。

第2章では社会階層論と家族社会学のそれぞれにおける先行研究のレビューがおこなわれている。欧米や日本の社会階層研究では「家族成員は相互に共通した社会経済的地位を共有する単位である」という前提がおかれてきたため、(1)家族内部に切り込んだ研究はほとんどなかったこと、(2)就業する女性の増加を受けて女性の階層研究も手がけられるようになったものの、男性の分析枠組みを女性にも適用するアプローチが長く採用されてきたこと、という2つの限界が指摘されている。階層研究とは対照的に家族社会学では家族関係など家族内部に焦点をあてて研究がおこなわれてきたが、家族のありようや変化を個々の家族が置かれた社会構造的位置と関連づけて考察する視点は総じて弱いという限界が見られる。特に日本では近年の家族の変化を「選択」といった文脈でとらえるアプローチがより関心を集めてきた。以上から「社会階層によって家族のありようはどのように異なるのか」という研究課題は社会階層論、家族社会学のいずれにおいても未検討の新しい研究課題であることが示されている。

第3章ではマクロデータを用いて日本社会が性別役割分業を前提に運営されていることが確認されたうえで、エスピン-アンデルセンによる「福祉レジーム」論を手がかりとして、「男性稼ぎ主」型の社会保障システムを採用し続けている日本の現状が女性の就業と家庭生活との間に緊張関係を生み出していると整理されている。

第4章では格差拡大の趨勢と日本の所得格差が先進国のなかでも大きい方であることがマクロデータによって確認された後、社会全体の経済的格差が拡大するなかで女性内の階層分化が二極化していることが指摘されている。

<第2部 女性の就業と家族の階層分化の実証分析>の4つの章では、(1)女性の就業はライフ・コース上の位置と家族の経済的地位によってどの程度規定されているのか(第5章)、(2)女性の就業は家事分担のありように違いをもたらしているのか(第6章)、(3)女性の就業によって夫婦の意思決定パターンに違いが生じているのか(第7章)、(4)女性の就業は夫婦の出生意欲にどのような影響を及ぼしているのか(第8章)という4つの分析テーマが設定されている。各章では先行研究の検討などをもとに構築した仮説の実証的妥当性をロジット分析や多項ロジット分析、トービット分析といった多変量解析によって検証するという計量社会学的手法が採用されている。

第5章から第8章の分析によって得られた結果に基づき、第9章では次の2つの結論が導かれている。第一に、既婚女性の就業行動は個人の「選択」というよりも性別役割分業に代表される「男性稼ぎ主型」社会保障システムや「格差社会」を前提としてライフ・コース上の位置や家族の経済的地位によって構造的に規定されていること、第二に、男性が外で働き女性は家庭責任を担うという形で「標準化」されていた家族の姿が階層分化していることである。

これらの結論を社会階層とジェンダーの視点から整理するならば、女性の就業は性別役割分業に代表されるジェンダー構造を解体しつつあるものの、すべての階層で解体の方向に向かっているわけではないということである。専門管理職やサービス職で働く女性の家庭では変化が見られるものの、事務職やマニュアル職で働く女性の家庭では依然としてジェンダー構造が温存されている。また、専門管理職の女性にとってこの変化は性別役割分業を否定する自らの価値観と合致している変化だが、性別役割分業を支持するサービス職の女性にとっては自らが望む家族像とは異なる変化となっている。

第9章の最後では家族が階層分化しつつある現状を見据え、「男性稼ぎ主」型社会保障システムから女性の就業を組み込んだ社会保障システムへの転換が日本社会の急務の課題であり、そのためには男性の長い労働時間の軽減や男女の大きな賃金格差の是正などを含めた性別役割分業の解消が必要であると提言している。

黒田宣代/久留米大学講師等(論文博士)

「ヤマギシ会」と家族――近代化・共同体・現代日本文化

<2006年4月発行 慧文社>

黒田氏の学位請求論文『「ヤマギシ会」と家族――近代化・共同体・現代日本文化』は1994年から約10年間にわたる研究成果をまとめたものである。その内容においては、修士学位論文『コミューン型社会生活の実証的研究――「ヤマギシ会」を中心に――』を皮切りに学会発表や研究論文において継続的に再考を重ねてきた。

研究目的は、近代化という社会変動によって生み出された現代日本文化(教育・家族)に照射し、現代人の葛藤を見つめることにある。

研究対象は、日本にある共同体「ヤマギシ会」である。調査方法としては、共同体生活の場として三重県・和歌山県・熊本県・徳島県にあるヤマギシ村での参与観察と「ヤマギシ会」に関わった人々へのインタビューならびに2度にわたるアンケート調査を実施した。

本論の構成は、第Ⅰ部を「共同体文化の位相」(理論検証)、第Ⅱ部を「共同体『ヤマギシ会』の分析」(現状分析)、第Ⅲ部を「むずび」(結論)として3部で構成し、全6章(序・1・2・3・4・終)で展開している。以下に各章各節のフレームを述べる。

まず、第Ⅰ部は第1章「共同体文化論」と第2章「現代型共同体誕生の契機」で構成した。第1章は、本論に関する「共同体」の先行研究をまとめ述べたものである。ここでは、まず「共同体」と「文化」という広範で曖昧な言葉の概念・定義を整理し、諸外国ならびに日本における主な共同体の歴史と生活を文献より得られた情報により述べた。また、共同体の一例として、筆者が2001年にフィールド調査を行った中国の共同体(韓村河)を写真ととともに紹介した。次に、第2章では「社会変動」を「近代化」という歴史的媒介要因の視点から見つめ、近代化が「家族」や「地域」、「経済」や「宗教」にもたらしたシステムを主に富永健一の理論を援用しながら見つめた。そこでは「核家族化」、「都市化」、「業績主義」、「新々宗教」などの新システムの誕生とともに、個人が「私化」していく様と宗教的でも社会主義的でもない新たな「共同体」誕生の要因があることを述べた。

第Ⅱ部は、第3章「『ヤマギシ会』の発生と実態」と第4章「『ヤマギシ会』の周辺<調査分析>」で構成した。まず、第3章では、ヤマギシ会の成立と歴史、その生活実態、運動内容などを現地調査から得られたデータをもとに記述した。そして、生活実態では、質の異なる3つのヤマギシ村(三重県・和歌山県・徳島県)の様子を記した。また、筆者自身が体験したヤマギシ会のセミナー内容を具体的に述べた。次に第4章では、これまで実施した2度のアンケート調査で得られた量的・質的データを分析し、一定の仮説を引き出した。本アンケートは、反「ヤマギシ会」とも位置づけられる団体:「ヤマギシ会を考えるネットワーク」の会員を対象に郵送式で実施したもので、有効回答数118で回収率は48%であった。そこでは主に脱会者の脱会時の葛藤ならびに1990年前後よりはじまる著しい接触と乖離(質的・量的変遷)をみつめることができた。

第Ⅲ部は、第Ⅰ部の理論と第Ⅱ部のフィールド調査分析結果を踏まえての「むすび」として終章「共同体『ヤマギシ会』にみる現代日本文化の位相」である。本章では、1953年に発生した「ヤマギシ会」が今日までの約50年の間に幾多のバッシングがありながらも存続している理由――それはとても世俗的な集団であるということ――を会の魅力として見つめ述べた。

さらにデータより得られた仮説として、ヤマギシ会参画者の顔(質的なもの)が1990年前後より変わってきているということ。それに付随して「ヤマギシ会」という共同体にはその歴史の前半部分で見られたような対抗文化的色合いや草の根運動(たとえば一時期みられた環境保全運動など)的な影が薄くなっていること。そして、現在は家族的機能をもつ「一大家族」のような存在にあると会自身が世間一般にアピールしているということ。そしてその「一大家族」というキャッチフレーズこそが悲劇を生んでいることを引き出した。その悲劇とは共同体「ヤマギシ会」を「家族」と同一視し、そこにノスタルジックな家族――「前近代的家族」――を求めて参画する現代人が少なくないことにあった。

川田 進/大阪工業大学教授(論文博士)

東チベットの宗教空間―中国共産党の宗教政策と社会変容

<2017年3月刊行 北海道大学出版会>

本論文は、チベット高原東部に位置する中国四川省甘孜藏族自治州にある仏教寺院や仏学院、修行地において興隆するチベット仏教の近現代史と現況を、中国の宗教政策とチベット(特にカム)の地域研究から明らかにするものである。

従来、チベット仏教の現代的研究は、ダライ・ラマ14世やチベット亡命政府が発信する情報と、中国政府が公認するパンチェン・ラマ11世の愛国活仏的な言説や政府による「ダライ集団」批判などとの間でバランスを取りながら、主としてラサが位置するチベット自治区や青海省のアムドでの調査に基づくものが多かった。本研究は、ほぼ日本人を含めて外国人の研究者が容易に立ち入り、調査ができなかった地域においてチベット仏教の現況を明らかにしたものである。

著者の川田氏は元々毛沢東研究から中国研究に入り、1991年から毎年東チベットを短期間訪問し、特に2001年以降は、甘孜藏族自治州に絞ってチベット仏教の動態と中国共産党の宗教政策との関係を調査してきた。

調査地の甘孜藏族自治州は標高3500~4000メートルの高原にあり、成都から康定までバスで1日、康定から甘孜まで乗り合いタクシーで1日、さらに色達の仏学院や亜青の修行地までは4500メートルの峠越えで半日かかる辺境の地である。そこにそれぞれ一万人を超えるチベット族のみならず漢族のチベット仏教の僧侶・尼僧・信徒が集まり、仏教聖地の様相を呈し、近年は秘境ツーリズムのスポットとして観光地化が懸念されるほどになっている。

本研究で特筆すべきは調査手法にある。チベット仏教への統制が厳しく、外国人研究者に自由な調査が許可されない状況において、川田氏は当局や地元研究者などの支援をあえて受けず、自身の漢語を用いた聞き取り調査と参与観察により、同地で資料を収集した。このやり方は、宗教統制がかなり緩和された胡錦濤の時代(2002~12)には有効だったが、習近平政権下(2013~)では困難になったとされる。また、文献調査は、党・政府の内部資料、宗教組織の内部(政府非公認)資料、漢人信徒組織がインターネット上に公表した各種資料、政府公告等も参照している。

序章は研究課題と研究手法の説明であり、上記の本論文の視点と方法に記載の通りである。

第1章「中国共産党の宗教政策―毛沢東から胡錦濤まで」では、共産党の宗教観と党員に課された制約、政府の宗教事務の特徴を確認した後、毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤が主導した宗教政策とチベット政策を俯瞰した。今後、党の宗教政策とチベット政策、さらにウイグル政策を含めた動向把握が必要とされる。

第2章「『愛国活仏』ゲダ5世の虚実と軍の宗教政策」では、白利寺の化身ラマ・ゲダ5世を共産党の軍事行動と統一戦線活動のキーパーソンと位置づけ、活動の目的と人物像の虚実を政府系資料とチベット政府に雇用されたイギリス人フォード(通信技師)の回顧録から検証した。そして、共産党がゲダを利用して愛国主義教育と統一戦線活動を展開する理由を導き出した。ゲダ5世とフォードの実像を探るには、チベット仏教学と中国現代史の研究者との連携が必要とされる。

第3章「民主改革・文化大革命時期のデルゲ印経院」では、デルゲ印経院の歴史と役割を土司制度の視点から概観した後、文化大革命時期に共産党が印経院を破壊せず保護した理由を、党のチベット政策という視点から考察した。周恩来がデルゲ印経院の保護を命じたことを証明する一次資料は未発見であるものの、現地官僚が保護できた成果は大きいとされる。

第4章「文革後のデルゲ印経院と統一戦線活動」では、文化大革命終了後、鄧小平が主導した宗教復興政策の動向を「中共中央1982年19号文件」から読み解いた。そして、共産党がデルゲ印経院の復興とパンチェン・ラマ10世の視察を利用して、チベット亡命政府を牽制する対外的な戦略を紹介した。亡命せず中国にとどまったパンチェン・ラマ10世が東チベットの宗教復興に尽力した点は、今後新資料の発掘を通じて再評価する必要があるとされる。

第5章「ラルン五明仏学院粛正事件」では、チベット文化圏最大規模を誇るラルン五明仏学院(1980~)の誕生、発展、そして粛正事件(2001)に至る過程を党の宗教政策・チベット政策の視点から論じた。副学院長への謁見、仏学院内部資料・政府内部資料の入手により、仏学院の全体像が明らかになった。しかし、2016年8月から仏学院への粛正が再開された。

第6章「ヤチェン修行地の支配構造と宗教NGO」では、大規模宗教コミュニティであるヤチェン修行地(1985~)の支配構造を、ウェーバーのカリスマ論、チベット仏教の化身ラマと師資相承制度を用いて論じた。そして、アメリカや香港の宗教NGOが修行地の運営と発展に寄与してきたことが判明した。仏学院同様、ヤチェンの存在に研究者のみならず、ツーリズムの関心が注がれている。今後、仏学院と修行地に集ったチベット僧の宗教意識をチベット語が堪能な研究者と合同調査する必要があるとされる。

第7章「漢人・華人信徒の信仰とスピリチュアリティ」では、ヤチェン修行地の漢人・華人信徒を「仏教教義の理解を重視するグループ」と「瞑想を通じたスピリチュアリティを重視するグループ」に分け、漢人・華人の精神世界とチベット仏教の関係を明らかにした。そして、漢人・華人信徒によるチベット仏教支援活動と宗教公益事業の実態を胡錦濤時期の宗教政策を軸に分析した。

第8章「仏学院の震災救援活動と宗教の公益活動」では、2010年青海省のチベット人居住地区で大震災が発生した際、ラルン五明仏学院は救援隊を派遣し支援活動を展開した。漢人信徒の手記にもとづき活動の内容と現地で生じた問題点を明らかにした上で、胡錦濤政権の「宗教と和諧」政策、宗教とソーシャル・キャピタル、草の根NGOという視点から、仏学院の社会貢献活動の意義と限界を示した。本章は胡錦濤の宗教政策とチベット仏教の関係を示す恰好の事例である。

第9章「『2008年チベット騒乱』の構造と東チベットの動向」では、「騒乱」を「2008年ラサ騒乱」と「2008年東チベット騒乱」に分け、両者の発生状況を比較検討した。そして「東チベット騒乱」の起点が「2.21同仁事件」であることを提起した。さらに、宗教的主張を含む抗議活動を「デモ法」「刑法」との関連で検討した。

終章「宗教政策、宗教ネットワーク、チベット問題」では、東チベットの宗教空間が持つ特質を、(1)中国共産党の軍隊、(2)チベット人幹部と高僧、(3)共産党の宗教復興政策と政府の宗教管理、(4)「寺院の経済的自立政策」と漢人信仰者、(5)宗教と和諧政策、(6)共産党の宗教政策への抵抗と社会の変容という視点から整理した。また、東チベットにおける宗教政策の実態を、江沢民が提示した「四原則」(1)宗教信仰の自由、(2)法に基づく宗教事務の管理、(3)独立自主自営、(4)宗教と社会主義社会への適応から検討した。最後に、ダライ・ラマが属するチベット仏教ゲルク派僧院への監視と弾圧が続く一方で、ニンマ派を中心とした活動が、漢人・華人信徒という宗教の新たな担い手を獲得し、今後のチベット仏教と中国共産党の関係を握る鍵になりつつあることを示した。

猪瀬優理/龍谷大学准教授(課程博士)

博士の専攻分野名称 博士(行動科学専攻)

宗教集団における信仰継承と「ジェンダー」の再生産

猪瀬優理氏の博士論文「宗教集団における信仰継承と『ジェンダー』の再生産過程」では、創価学会とエホバの証人の2つの新宗教教団を事例に、信者の信仰継承と教団離脱のプロセスにおいて、ジェンダーがどのような影響を及ぼしているのかを考察している。

1970年代以降の欧米・日本の宗教社会学では、人は新宗教にどのように入信し、回心に至るのか、そして、教団を離れていくのかをめぐって多くの調査研究と論争がなされてきた。典型的には、宗教的価値観の探求者として入信するという能動的入信者像と、教団の強い働きかけによって入信させられるという受動的入信者像が提起され、後者は、特定教団における洗脳、マインド・コントロール等として「カルト」の社会問題となった。

猪瀬氏の研究は、第一に、このようなカルト論争の俎上にあげられることの多いエホバの証人と、公称821万世帯の信者を有する日本最大の新宗教である創価学会を事例に、入信と脱会のメカニズムを明らかにしようとしたものである。第二に、新宗教教団の成長・発展・衰退等の組織変動を、教団の二世や三世の信者(親や祖父母の時代からの信仰家庭に育つ子供)が、どのようにして信仰を継承していくかに着目しながら、教団の再生産のメカニズムをも明らかにしようとした。

以下、論文の構成と概要を述べる。

第一章と第二章では、研究設問と信仰継承や教団の再生産に関わる先行研究の検討、猪瀬氏自身の信仰継承モデル、教団の再生産モデルが明らかにされる。現代において信仰は私的なもの、個人によって選択されるものになったというアメリカの宗教市場論をベースに、信仰の文化的選好モデルが作られる。そして、文化的選好形成に影響を与える家族の文化、教団の文化、現代社会の文化などから、特にジェンダー規範の影響力について考察することが明示される。

第三章は、創価学会とエホバの証人の教団を概観したものである。

第四章では、創価学会二世信者の信仰継承に影響を与える要因として、女性信者は男性信者と比べて、親の影響、特に母親の影響が強いことや、離脱傾向は男性に顕著であるが、男女とも中学生の思春期に熱心に教団内の教育組織で活動したものはその後も活動を継続すること等が明らかになった。また、親の教育姿勢、信仰を共有する配偶者の有無、家族関係の状態が信仰継承にもたらす影響の度合いに関しても詳細に検討された。

第五章では、創価学会が教団のジェンダー規範に基づいて設置する教育・教化組織である、未来部(高校生まで男女とも)、学生部(男子・女子)、男子部、女子部(既婚者は婦人部)の組織活動と、参加者が内面化される教団の実践的教義が明らかにされた。現代化されているとはいえ、日本の通俗道徳にも通じる家父長制的家族規範がジェンダー意識に伺われる。要するに、教団内において、男性信者は好ましい男性モデル、女性信者は女性モデルにあわせて信仰を形作っていることが事例研究から明らかにされた。

第六章では、特に未来部に焦点をあて、教団内二世・三世信者を教化することで教団の再生産を図ろうとする創価学会の組織戦略とそれに応じる子供達の実態が明らかになった。

第七章は、現代社会では信仰の個人化が進む一方で、新宗教教団では、家・家族の信仰としていくことで教団の存続を図ろうとしているが、そのような組織戦略が信者の教化に成功しているかどうかが、二世信者の宗教意識から検討され、創価学会では成功していることが明らかになった。

第八章は、エホバの証人の一世信者と二世信者の教団離脱の形態と信者の心理状態の差異が検討された。二世信者の場合は文化としてのエホバの証人の家庭に幼少期から疑問を持つことが少なくなく、エホバの証人を批判するインターネット情報や書籍情報に影響を受けて、信者であっても心理的には離脱している場合が少なくないことが明らかにされた。

第九章では、妻がエホバの証人であることを理由に、反対する夫との間に離婚や子供の親権をめぐって提訴された公判事例をもとに、争点は信仰の問題もさることながら、夫よりも教団に忠誠を示す妻の態度を許容できない夫の態度が原因となっていることが指摘された。

第一〇章は結論と課題であり、各章の知見をまとめている。そこから、宗教とジェンダーに関わる議論として、本研究科教授であったアラン・ミラー氏とロドニー・スターク氏によって考案された信仰のリスク・テーキング理論を批判している。つまり、世界の諸宗教ではおしなべて男性よりも女性の方が熱心な信仰態度を有するが、これは宗教の罪意識を採用することの心苦しさと関係するという。男性は女性よりも罪を犯す確率が有為に高い。従って、女性よりも罪の観念に苛まれる可能性が高いために、そのようなリスクを避けるのであるというものである。これに対して、猪瀬氏は、ジェンダーにより家内労働的役割が規定されている女性の社会的自己実現の機会として、また、社会的に許容された活動領域として、女性が信仰や教団活動に熱心に従事するのではないかという。創価学会とエホバの証人を支えている主婦層が抱いている宗教活動の効用から、女性の信仰活動の熱心さは説明されるというのである。

Sucharikul Juthahip/タイ国Rajapak大学准教授(課程博士)

博士の専攻分野の名称 博士(文学)

タイにおける貧困問題とストリート・チルドレンに関する研究

従来、タイの貧困問題は、東北部の農村や北部山地民における低開発の問題か、地域の商品経済化に伴う農民層分解、都市部への労働者移動に伴うスラムの増加が主たる問題であった。しかし、1990年代以降、タイは経済のグローバル化に適応して急速に発展し、2003年の高等教育機関への進学率が40%を超えるほどに中間層を増大させた。その一方で、発展から取り残された人々の社会的排除は深刻化している。タイのストリート・チルドレンとは、市民生活を送るために必要な教育機会や社会生活から排除された典型的な人々である。彼等は、物乞いを行う貧困層の子供達というよりも、出稼ぎにより地方農村に置かれたままの子供達が家出したり、都市部の機能不全家族から逃げ出したり、或いは、人身売買組織により買い集められた子供達である。男女問わず、少年期から売買春や麻薬売買に巻き込まれ、青年期にはヤクザ組織の手先になるか、軽犯罪に手を染めて生きる糧を探すことになる。タイの社会教育政策にとってストリート・チルドレン対策は解決が急がれる課題なのだが、十分な施策がなされないまま、問題は深刻化している。

そこで、ストリート・チルドレンを社会復帰させるために、NGOがどのようなソーシャル・サポートを行えるかを実証的に検証しようというのがスチャリクル氏の研究目的である。本論では、タイの地方中核都市であるチェンマイ(北部)、コーンケーン(東北部)、プーケット(南部)の3都市におけるストリート・チルドレンの実態調査(ストリート・チルドレン30名、元ストリート・チルドレン4名、NGOのスタッフ8名への面接調査)と、各都市で活動するNGO組織(Volunteer Group for Child Development, YMCA Foundation, World Vision Foundation, Child Help Foundationの4団体)の支援事業を事例とした。

本論文の内容は下記の通りである。

第1章では、タイの近代化・開発政策の下に貧困問題の様相を探るべく、先行研究をレビューしている。タイの児童問題、ストリート・チルドレン問題をタイの調査研究をもとにまとめ、次いで、フィリピンやブラジルなど他地域のストリート・チルドレンとの比較対照を行った。

第2章では、調査方法と調査概要について述べ、対象地、対象団体、対象者のデータを概観した。各地域において、ストリート・チルドレンになる経緯は、少数民族への社会排除的政策や経済構造、出稼ぎ者の家族問題、観光産業による消費文化の蔓延等、子供達がストリート・チルドレンとなる契機が異なることが明らかにされた。

第3章では、タイにおけるストリート・チルドレンの生存戦略として、彼等がピア・グループのネットワークをどのように使いながら生活の糧を得たり、他のギャング集団から身を守ったり、警察等の摘発を逃れたりするのかが描かれた。ストリート・チルドレンにとって、食物、お金、情報、助けは彼等相互のネットワークからしか得られない。家族や地域社会、NGO/行政から得られるのであれば、もはやストリート・チルドレンの状態を脱している。

第4章で述べるマージナルマンとしてのストリート・チルドレンとは、まさにこれらの社会関係を取り結んでいないことから自分たちの生活に必要な資源を調達できないことを指している。分析では、2人のストリート・チルドレンについて、彼等の社会圏にどのような人々がたち現れ、彼等が仕事をしたり、遊んだり、必要な情報や機会を得るためにどのチャネルを使っているのかがネットワーク分析により明らかにされた。

第5章では、NGOがストリート・チルドレンを社会復帰させる過程を分析する。NGOはストリート・エデュケーターと呼ばれるスタッフを盛り場や子供達が集まる場所に派遣して、新しい子供が加わっていないか、子供達がケガしていないか等の見回りを行う。そして、徐々に子供達と顔見知りになり、知り合いとしての弱い紐帯を取り結んでから、親しくなった子供をNGOの施設によんで研修プログラムを受けてみないかと勧める。スタッフや教師と強い紐帯が形成された子供達に対しては、公立校への受け入れを依頼したり、簡単な作業の仕事を斡旋したりする。そうして子供達が学校か職場に居場所を確保し、後見人ができたものについては、不測の事態が生じたような場合に相談に来るようにいって、NGOは子供達との紐帯をゆるやかなものに変えていくのである。

第6章では、ストリート・チルドレンのなかで社会復帰に成功した事例を取り上げ、彼らがストリートを離れることができた要因、ストリートでの生活を止める前と止めた後の変化などを、彼等の回顧談から分析する。

第7章において、タイの児童・青少年問題、特にストリート・チルドレンへの対応を、行政・NGOによるソーシャル・サポートから分析する。現時点では、行政によるサポートは殆ど期待できず、国際援助NGO傘下にあるタイNGOや福祉団体によるソーシャル・サポートが全ストリート・チルドレンのごく一部に支援事業を行っている段階である。NGOによるノンフォーマル教育の実践を紹介し、教育前後の子供達の変化を詳しく分析する。実際のところ、NGOが提供するプログラムによってストリートを離脱できる子供達は対象者のごく一部であることも同時に示される。

第8章では、結論と今後の課題がまとめられている。

Terapol Kulpranton

人間システム科学専攻 博士(文学)

日本に滞在するタイ人の生活構造とソーシャル・サポート―留学生・国際結婚定住者・労働者を事例に―

本論文は、日本に滞在するタイ人留学生・就学生、日本人の国際結婚定住者、外国人労働者を対象に、タイ人同士や日本人とのネットワークやソーシャル・サポートの違いを比較したものである。

1990年代に外国人労働者や国際結婚定住者の問題は日本の国際化の課題として多いに論じられたが、日本経済の収縮傾向と共に外国人労働者が減少し、それに伴い調査研究も減った。事実、2008年時点において日本で外国人として登録しているタイ人は4万2千人を数えるが、タイ人留学生・就学生・研修生は約2千名と少なく、日本人の配偶者は1万2千人を超え、残りの一万数千人が労働者と約1万人と推定される不法残留者に二分される。1993年に不法残留者が5万人を超えた状況と比べれば、在日タイ人の生活状況は大きく変化したことがわかる。

本研究は近年手薄な在日タイ人の生活状況を彼らのソーシャル・サポートの構造に焦点を当てながら綿密な調査研究によって明らかにしようとした労作である。

以下、具体的に内容を要約していきたい。

まず、「はじめに」において、本論文の概要・構成を述べる。

第1部が問題の設定と研究方法論である。

第1章「問題設定」では、現代社会における国際労働力移動の現況と研究動向を概観し、次いでアジア、タイにおける労働者の国際移動の動向、とりわけタイ人労働者が日本へ移動する状況を述べた。

第2章「調査の視角と方法」では、日本における外国人労働者受入れ問題や国際結婚定住問題などに関する先行研究を概観した上で、分析視角としての生活構造・ソーシャル・サポート論についてレビューを行った。その後、調査対象者の選定、面接調査の方法を示した。

第2部が事例であり、在日タイ人(留学生・国際結婚定住者・労働者)の生活戦略を分析している。

第3章の事例は、タイ人留学生である。ここでは、国費と私費のタイ人留学生の就学と就労について、その生活構造や生活状況の相違点と共通点を明らかにした。タイ人国費留学生は、奨学金が支給されて生活時間や金銭面に余裕があるため、タイ人の友達や大学に属する日本人と交流する時間がタイ人私費留学生よりも多い傾向にあった。一方、学費や生活費が不足しているタイ人私費留学生の場合は、学習・研究の時間以外はアルバイト中心の生活を過ごしていた。日本での生活は、双方とも学習と研究に関しては、日本人の指導教員から指導的サポートを受けていたが、「アルバイト」、「住宅探し」とその生活問題上の相談に関しては、在日タイ人の留学生やタイ人国際結婚定住者の同国人を中心に様々なサポートを受けていた。

第4章の事例は、都市部に在住している日本人男性と結婚したタイ人女性である。ここでは、国際結婚という手段で「労働者」から「配偶者・地域住民」へと社会的地位を変化させていく経緯と彼女たちの生活戦略を考察した。本研究では、主に都市部に居住するタイ女性を事例としたため、日本の農村において配偶者不足の解消を目的に行われる「国際結婚」による定住者のように同居する夫の両親と共に農業に携わりながら、家事や育児などを行うという事例はない。都会で暮らすタイ人女性国際結婚定住者の場合は、主婦、パート主婦、或いは自営業者と有職のものが多い。就ける職種は、在タイ時の学歴・職歴、日本人配偶者の年齢や職種等で変わる。

第5章の事例は、不法滞在するタイ人労働者である。ここでは、一般的な職業につく不法滞在タイ人労働者を中心に生活の実態、生活上での問題を検討した。調査対象のタイ人労働者(工員、店舗従業員、労務者等)は、様々な手段を用いて入国後に不法に在留し、職を得た後、タイにいる家族へ送金している。生活上での問題について、彼らは、主に不法滞在するタイ人のネットワークを通じて、仕事・住居・事故や病気などへの対処法、さらには本人確認書類が必要である携帯電話や車などの物品を購入する際の違法な代理を依頼するなどして日本での生活の情報や援助を受けていた。

第3部では、在日タイ人におけるソーシャル・サポートの比較分析を行っている。

第6章は、「留学生」、「国際結婚定住者」、「不法滞在労働者」といったカテゴリーに分類されるタイ人が、異文化社会内で抱える悩みや生活上の問題を解決する上でどのようなソーシャル・サポートを得ているのかについて比較を行った。ここでは、ソーシャル・サポートの領域を「仕事又は研究・学習」、「人間関係」、「情緒」、「環境・文化」に分け、それぞれの領域ごとにサポートの内容を「物質的」「感情的(精神的)」、「指導的」、「情報的」サポートとして分類した。異文化社会内で抱える悩みや生活上の問題については、どの領域においても在日タイ人のネットワークが重要な役割を果たしていることが明らかになった。日本人からのサポートを得られるかどうかは、留学生と国際結婚定住者においては主として生活圏、語学力が大いに左右し、労働者は不法滞在という状況から日本人からサポートを得られるような環境を形成できていない。サポート得られる場として、タイ料理店や日本におけるタイ寺院が機能していることも明らかになり、前者は金銭的なサービスや商取引、後者は同国人同士の精神的つながりを得ることに力があることが事例から分析できた。

最後の第7章では、「留学生」、「国際結婚定住者」、「労働者」のソーシャル・サポートと社会的ネットワークを総括し、それぞれの生活構造の特徴を考察した。奨学金がない、あるいは少ないタイ人留学生の生活就労や生活時間はタイ人国費留学生と異なり、彼らは学費や生活費のために就労時間を増やすと共に研究や勉強時間も減らさざるを得ない状況にある。都市部に在住するタイ人女性国際結婚定住者の場合は、家事や育児以外の生活時間が自由になり、タイの家族、前夫の子供の生活費を稼ぐために、就職活動を行う傾向にあった。タイ人労働者は、労働時間、賃金の比較優位によって職場を選択しながら日本社会で隠れるように同国人同士のネットワークを形成していた。

今後の課題としては、国籍別に行われている外国人滞在者や定住者のソーシャルネットワークやソーシャル・サポートの比較分析が残されている。4年間の博士論文執筆期間では十分なしえなかった。

李賢京/東海大学文学部講師(課程博士)

人間システム科学専攻 博士(文学)

宗教文化交流による日韓宗教市場の再編―日本の新宗教と韓国のキリスト教を事例に―

本論文のタイトルにある韓国と日本における宗教文化交流とは、一方では1980年代から創価学会が韓国で教勢を拡大し、公称現在140万人の信者を獲得して、韓国第4の宗教勢力となったことと、他方では同時期の日本において韓国のプロテスタント教会が盛んに宣教活動を行い、日本のキリスト教にペンテコステ運動やカリスマ運動的な傾向の強い福音主義の影響を与えたことを意味している。

韓国では植民地時代から日本の既成宗教・新宗教の布教が進められ、解放以後も在日コリアンによって日本の新宗教は布教されている。その中で、なぜ、反日感情が強い韓国にナショナリズム的色彩が強い日蓮正宗系新宗教が勢力を拡大できたのか。或いは、西欧ミッションの基盤があり、理知的傾向が強く、他方でキリスト教が人口の1パーセントを超えて拡大しない日本社会おいて、なぜ、聖霊体験を強調する韓国系キリスト教が新たな福音系教会を新設していくことに成功しているのか。

このような宗教の相互交流の現状に対する疑問を解決するべく、韓国側、日本側でそれぞれ研究は進められていたが、韓日の比較研究を個人で成し遂げた研究者はいなかった。李賢京氏は、日韓の宗教市場における需要と供給という観点から、日本の新宗教が韓国の諸宗教が提供できない宗教財を持ち得たこと、韓国のキリスト教会が日本のキリスト教会にない宗教体験を提供したことを明らかにしようとした。

具体的には、李賢京氏は、ほぼ5年間をかけて韓国側では4つの日系新宗教、日本では20箇所の韓国系キリスト教会を対象にアンケート調査、面接調査を行っている。以下が要旨である。

第Ⅰ部「近現代における日韓両国の宗教文化の展開」では先行研究のレヴューと本論文の理論的枠組みを提示した。

第1章「日韓における社会変動と宗教文化の変貌」では、現代の日韓両国における宗教状況を概観し、今日の宗教文化を生み出した日韓両国の社会背景を、(1)産業化・都市化、(2)戦後の高度経済成長、(3)国家の宗教政策の変化の3点で比較した。

第2章「海外における日韓の宗教の展開」では、日本の新宗教と韓国のキリスト教の海外布教に関する先行研究を踏まえて、韓国における日系新宗教と日本における韓国系キリスト教の受容について先行研究を検討し、日韓相互の宗教文化の受容(=宗教文化交流)とその活性化の要因を分析する理論枠組みとして、(1)グローバル化、(2)宗教市場理論(=相補的対応)を提示した。

第Ⅱ部では韓国における日系新宗教の事例分析を行った。

第3章「韓国の宗教市場と日本の新宗教―韓国創価学会を事例として―」では、創価学会が、日本の植民地支配に起因する反日感情が根強い韓国社会において、(1)現世志向主義の宗教実践を通して韓国の既成宗教との差別化を図り、(2)信者の信心を持続させるためのシステム(激励・役職等)を採用し、(3)個人で行うことが可能な宗教実践や単純明快な教えを提供することで都市生活者のニーズに適応して教勢を拡大したと述べた。 第4章「韓国における日本新宗教信者に関する一考察―韓国生長の家を中心に―」では、韓国生長の家(=光明会)信者の特徴として、(1)韓国既成宗教の信者に比べて高学歴・高収入で職業威信も高い、(2)韓国における他の日系新宗教教団と比べて、光明会信者は人生の究極的意味への関心が高い、(3)入信動機において、人生と真理に対する探究心や知的欲求の充足と、治病という日系新宗教が有する「貧・病・争」からの脱出欲求が同時に存在している、(4)韓国の既成宗教とは差別化された布教戦略(水子供養に類する流産児供養、教団出版物の在宅配送)が用いられていることを明らかにした。 第5章「異文化交流の可能性と課題―韓国世界救世教に着目して―」では、若年信者と初期世代の信者との比較を通して、(1)若年層信者の入信動機も初期布教世代と同様に「浄霊」であったが、教義の内面化を通して信心を確立し教団に定着している、(2)若年層信者は自然農法・ブログでの宣伝活動などを通して、日本宗教信者というレッテルを克服すると同時に、教団の認知度獲得およびイメージの改善に努力していることを論じた。 第6章「『似而非宗教』と『倭色宗教』のあいだで―韓国天理教『3世信者』の信仰継承過程における『他者』の影響―」では、(1)韓国は日本植民地経験に起因する反日感情が強く、そうした感情を持つ「教団外他者」が3世信者の信仰生活の弱化に強く影響していること、(2)「教団内他者」である同年代の仲間集団と親の寛容的な宗教教育態度が、3世信者の信仰生活の保持・深化に影響を及ぼしていることを明らかにした。

第Ⅲ部では日本における韓国系キリスト教会の事例分析を行った。

第7章「拡散する韓国のキリスト教と日本」では、韓国でキリスト教が1950-70年代に成長し、80-90年代に停滞した要因に関する先行研究を踏まえ、韓国系キリスト教主流派とペンテコステ派が共に日本宣教を行う背景を考察した。多くの韓国人ニューカマーの来日と日本のキリスト教会における聖霊体験の渇望などが受容の背景として考えられる。 第8章「日本における韓国系キリスト教会の動向に関する一考察―純福音教会を中心として―」では、(1)大半の純福音教会はエスニック・チャーチとしての役割を担っており、聖霊体験を求める韓国人を信者として集めている、(2)日本人信者の獲得状況は成功しているとは言えない状況であった、(3)しかし、純福音教会は日本人信者の獲得よりも日本のキリスト教会における聖霊運動の高揚に貢献したことが分かった。

第9章「『韓流』と韓国系キリスト教会―日本人メンバーの複層化に着目して―」では、韓国系キリスト教会に参加している日本人信者が、(A)宗教的「救済」を求めて参加して教会に帰属意識を持つ「信者」、(B)教会に「韓流」だけを求めて信者になることには抵抗感を持つ「非信者」、(C)信者と非信者の間に位置する「信者周辺」の3類型に分けられ、日本における韓国系教会に通う日本人信者が複層化していることを明らかにした。 第10章「日本での定着をめぐる『旧』・『新』韓国系教会の再編成―20の教会間比較を通して―」では、(1)エスニック・グループの枠を超越できなかった「旧来」の教会の特徴として、在日コリアン信者のニーズの変化を認識しているものの、「民族教会」としてのプライドを保持しようとする傾向があるため、信者のニーズに柔軟に対応できていないこと、(2)エスニック・グループを超えた「新来」の教会の特徴が、日本人・中国人・朝鮮族・野宿者へと、次々と新しい信者を獲得するために多様な布教戦略を模索していることを明らかにした。

吉野航一

博士の専攻分野の名称 博士(文学)

沖縄社会とその宗教世界―沖縄本島中南部における外来宗教の展開と地域振興策を事例に

本論文は、1970年代初期に実施された九学会連合による沖縄の宗教調査の後をうめるべく実施された外来宗教の研究である。ここでいう外来宗教とは、沖縄の民俗宗教と習合することで定着した外来の伝統宗教(伝統仏教の宗派や福音派教会)ではなく、普遍主義的な教説や本土(世界)の教団機構による統制を維持しようとする教団宗教(浄土真宗系信徒団体、創価学会や立正佼成会等の新宗教、バプテスト教会、韓国系教会)である。沖縄では、民俗宗教的な土地の聖域、先祖の拝み、ユタのシャーマニズム等の基層文化の上に、近世までに伝わった伝統宗教と近代の信仰を強調する外来宗教が共存しており、現在、そこに地域振興策に絡めたスピリチュアリティ・ブームが様々なアクターによって構築され、独特な「沖縄」の宗教文化の様相を呈している。このことを複数の事例調査から明らかにするのが本研究の目的である。

第1章「問題の設定」では、沖縄の宗教文化を特殊なものとして扱う沖縄学、民俗宗教論の視角を超えるために、①外来宗教と民俗宗教の共存・相克、②宗教文化と政治社会構造の変動との関係を捉えるという問題を設定する。

第2章「外来宗教の土着化における信者の宗教実践―沖縄本島都市部を事例に」では、沖縄本島中南部の都市部で展開する真宗大谷派真教寺・真宗光明団・立正佼成会沖縄教会・沖縄創価学会・霊波之光沖縄支部・沖縄バプテスト連盟などの複数の外来宗教を事例に、信者の宗教実践から現代沖縄における外来宗教の土着化(定着・変容・適応)を明らかにした。

第3章「現代沖縄における浄土真宗」では、真宗大谷派真教寺と真宗光明団を事例に、現代の沖縄における浄土真宗の受容を明らかにした。沖縄での仏教受容を考察することで本土の仏教受容を逆照射(相対化)し、本土を正当化=沖縄を異質化するような視点に再検討を迫った。

第4章「沖縄県系移民の社会的位置づけと沖縄社会」では、カトリックと創価学会における帰国沖縄県系移民信者と沖縄・日本の信者との関係性(結合と分離)を明らかにした。「海外の県系移民」たちは「世界のウチナーンチュ」と沖縄の誇るべき歴史の一部としてとして語られる一方で、創価学会会員には「新宗教」という否定的なまなざしが投げかけられている。

第5章「地域社会の中にある「キリスト教」」では、沖縄バプテスト連盟を事例に「霊的個性の尊重」や「教会と政治の分離」として政治から距離を置く教団と、沖縄の民俗宗教を尊重しながら信仰生活を続ける信者の宗教意識を明らかにした。

第6章「沖縄における韓国系キリスト教会の展開」では、「在日大韓教会」と「純福音教会」を事例に、信者の属性、教会組織の特性、地域社会との関係性を明らかにした。前者では米軍関係の移動する韓国系の人々が多いため、沖縄・日本の信者を巻き込みながら地域社会に定着することを困難にしていた。後者では「求道的移動者」が多く、宗教的な悩みを抱える日本人信者の「受け皿」となっていた。

第7章「沖縄における「EM(有用微生物群)」の受容」では、疑似科学とされるEM(有用微生物群)の開発者、沖縄県庁、議会、県の研究機関、旧具志川市での裁判資料などにおけるEMに関する語りから、特殊な信念に基づいた疑似科学の公的領域への侵入を明らかにした。疑似科学は当該社会を取り巻く構造的あるいは制度的な文脈で生じていると考え、科学と社会制度との対立、特殊な信念を主張する団体や擬似科学をめぐる社会的な葛藤を考察した。

第8章「歴史遺産の観光資源化と観光からの離脱」では、沖縄県南城市における歴史遺産を用いた観光による地域振興策(地域再生マネージャー事業)において、南城市、日航財団、日本代替・相補・伝統医療連合会議(JACT)がどのような思惑(目的と意図)でこの事業に関与したのかを明らかにして、日本における沖縄と沖縄観光の社会的配置を検討した。観光を用いた地域振興策を用いる際には、観光に関わる様々な行為者とそれぞれの思惑が混在する観光を解体し、当該社会にとって適切な観光を再構築する作業だけでなく、観光から離脱するという選択肢も残しておく必要があることを示唆した。

第9章「結論―総括と今後の課題―」では、次のように総括している。移入地域の社会・文化状況に埋め込まれた信者の宗教実践から外来宗教の展開を考察するような視点を本研究は提示した。その結果、外来宗教に関する調査研究の時間的空白を埋めるのみならず、複数の外来宗教を幅広く取り上げることで通宗教的に外来宗教の展開(土着化・定着・変容)や信者の宗教実践(自らの信仰と在来の宗教文化への理解や再解釈、非信者の家族親族との関係)を明らかにできた。さらに、外来宗教だけではなく、疑似科学やスピリチュアリティ、統合医療を取り上げ、それらが地域振興政策に取り入れられて公的領域に侵入していることを明らかにした。

寺沢重法

人間システム科学専攻 博士(文学)

宗教とソーシャル・キャピタルの形成に関する計量社会学的研究-社会活動への参加を中心に

本論文は、宗教がソーシャル・キャピタルの形成に寄与するかどうかという命題を具体的な調査可能な対象において実証的に検討したものである。ソーシャル・キャピタルとは、具体的な社会関係、社会一般への信頼感、互酬性の規範といった諸要素を包括する概念である。

ポスト福祉国家以降の社会科学では、政治経済活動や福祉領域とソーシャル・キャピタルとの関係が肯定的に議論されており、ソーシャル・キャピタルが豊かであれば、様々な社会的活動が活性化するという見解がある。欧米では福祉的領域をFaith Based Organizationに委ね、政府のソーシャルサービスを代替させる動きがあり、それに伴い宗教社会学においても宗教団体への所属と市民の福祉・社会活動との関連を明らかにする研究がトピックになっている。

本研究はこのような社会の趨勢や学会の動向をにらみながら、キリスト教会等の主流派宗教による慈善活動や社会活動が制度化されていない日本においても、伝統宗教や新宗教への加入と信者の市民・社会活動が関連するかどうかを実証的に検討したものである。  具体的には、①世界価値観調査や日本で実施された総合的社会調査データの計量的分析によって、個人の宗教的志向・団体所属と社会活動の関連を検討し、次いで、②全国の主要な宗教法人に対して実施したアンケート調査や札幌市における宗教法人の活動実態調査等を通して、宗教法人本部や法人の施設管理者による社会活動がどの程度一般信徒に浸透しているのかに関して事例調査を行ったものである。

以下、具体的に内容を要約していきたい。

第1章では、日本における先行研究のレビュー、日本において宗教と社会活動を論じることの意義、「宗教」と「社会活動」の操作的な概念定義、及びデータについて概観している。

第2章では1996年から2011年6月までの1)American Sociological Review、2)American Journal of Sociology、3)Journal for the Scientific Study of Religion、4)Review of Religious Research、5)Sociology of Religionをレビューし、1)非キリスト教社会・非欧米社会に研究が進展していること、2)個人を分析対象とすること、3)計量社会学的方法が主流であること、4)社会活動を促進する場としての宗教施設に着目することを確認し、日本の調査においても同じ観点と方法を用いることの合理性を示した。

第3章ではJGSS(日本版General Social Surveys)-2000、JGSS-2001、JGSS-2002のプールデータを用い、「ボランタリー組織所属」を従属変数とする二項ロジスティック回帰分析を行った。分析の結果、1)社会─人口学的変数を統制した上でも、無宗教の人に比べて、何らかの宗教属性をもっている人は、ボランタリー組織に所属する傾向にあることが明らかになった。2)キリスト教や新宗教のみならず、仏教も正の有意な関連を示している。次に、「なぜ仏教に正の有意な関連が見られるのか」という問いを検証するために、サンプルを仏教に限定した分析を行い、仏教においてはどのような宗教的要因がボランタリー組織所属に関連するのかを分析した。その結果、宗教施設へのコミットの指標である「宗教団体所属」が正の有意な結果を示す一方、宗教意識の強さの指標である「信仰熱心度」は有意な結果を示さなかった。

第4章ではWorld Values Surveyの第2回調査と第4回調査のプールデータを用い、宗教集団へのコミットを測定する指標として、欧米の先行研究で頻繁に使用されている「宗教施設参加頻度」を使用し、「ボランタリー組織所属」と「ボランティア活動実施」の2つを従属変数とする二項ロジスティック回帰分析を行った。分析の結果、1)「非参加層」に比べて、「定期的参加層」の方がボランタリー組織に所属する傾向があり、ボランティア活動を行う傾向もあること、2)「行事参加層」に比べて「定期的参加層」の方がボランタリー組織に所属する傾向があるが、ボランティア活動については正の関連は見られるものの有意ではないこと、3)「非参加層」と「行事参加層」の間には有意な違いが見られないことが明らかになった。

第5章ではJGSS-2002とJGSS-2005のプールデータを用い、「定期ボランティア活動」と「不定期ボランティア活動」の2つの従属変数を「宗教属性」、「信仰熱心度」、「宗教団体所属」の独立変数から関連を調べた。分析の結果、1)様々な社会─人口学的変数を統制した上でも、宗教的変数はボランティア活動に対して正の有意な関連を示していた。2)一方、「定期ボランティア活動」と「不定期ボランティア活動」とで関連の仕方をより詳しく見てみると、前者の場合は、「信仰熱心度」と「宗教団体所属」の両方が正の有意な関連をもっていたのに対して、後者の場合は「信仰熱心度」のみに正の有意な関連が見出された。

第6章ではJGSS-2006を用い、「清掃活動参加」、「リサイクル品回収参加」、「地域パトロール参加」の3つを従属変数とする二項ロジスティック回帰分析を行った。知見は、1)「清掃活動参加」と「リサイクル品回収」は、「仏教(個人的に信仰)」、「仏教(家での信仰、いわゆる檀家)」ともに正の有意な関連が見られた。2)「地域パトロール参加」は、「仏教(個人)」に正の有意な関連が見られる一方、「仏教(家)」に有意な結果は見られなかった。3)「信仰熱心度」は「清掃活動参加」、「リサイクル品回収」、「地域パトロール参加」の3つの全てに対して正の有意な関連が見られたが、「宗教団体所属」はどれにも有意ではなかった。

第7章では、「札幌市の宗教団体の社会的な活動に関する調査」のデータを用いて、宗教施設における社会活動の実施状況、信者の動向、社会活動を行う社会的環境を検討した。知見としては、様々な領域の社会活動が宗教施設で実施され、そうした活動に信者が参加していることが確認された。

第8章では、「宗教団体の社会的な活動に関するアンケート調査」を使用し、宗教活動そのものを社会活動と考えるという宗教団体の認識の構造をみた。分析の結果、1)伝統仏教教団、社会活動を実施していない宗教団体、社会活動を行うことが国家への奉仕に連動する可能性があるという危惧が強い宗教団体は、宗教活動を社会活動とする認識が強いこと、2)宗教団体が宗教活動以外に社会活動を行うかどうかは、宗教団体の規模、一般社会から社会活動を期待されているという認識、社会活動を実施することを通じて外部社会との交流を持とうという認識には直接関連しないことも明らかになった。

第9章では、本博士論文の結論と今後の研究の課題について述べている。今後、東アジア(韓国・台湾)において総合的社会調査を用いて計量的な分析を試みることで、宗教団体への所属の意味を宗教文化の脈絡で押さえながらも、通文化的に議論できる地平を設定するという計画がある。

Byambajav Dalaiboyan/東北大学東北アジア研究所・研究員(課程博士)

人間システム科学専攻 博士(文学)

Post-Socialist Transition and Civil Society in Mongolia

(本文英語 モンゴルにおけるポスト社会主義への移行と市民社会形成)

本論文は、1990年から2010年までのモンゴル国=ポスト社会主義国家における市民社会組織の形成(NGO)、市民社会組織による政治参加や環境保護法制定への陳情・実力行使(social activism)に着目して慟哭における市民社会形成の過程を明らかにした。

以下、各章の要約を行う。

1章では、モンゴル社会における市民社会形成を1990年代の野党を中心とした政府批判、NGO活動、2000年代の地域住民主体の社会運動の二段階に分けて分析する基本的構図が述べられ、次いで、市民社会の定義、市民社会形成の担い手としてNGOに着目する理由、社会運動と政治的機会構造との関連といった理論的問題が検討される。

2章では、民主化以前の1924-1990年までのモンゴル国家史を略述し、市民意識を形成しにくい社会主義体制(密告制度など)について述べる。その後、1980年代末にソ連から政治経済的影響が切断され、ソ連・東欧に留学してきた政治エリート達が自主独立路線を迫られる中、学生や地方都市での政府批判運動が発生し、政府は体制転換を迫られた。1988-1993年の混乱期は経済成長が低下、失業・犯罪が増加し、人口増加率・幸福感共に低下した。市民社会形成の第一期の主役であるNGOは1997-2005年の間に411団体から5026団体に増加し、貧困・社会問題へ対応する海外NGOとその傘下NGOが当時の社会問題に対応した。この間野党は選挙ごとに政府批判を行ったが議席数を増やせなかった。第二期の主役は社会運動の勃発であり、2004-8年に増加している。1980-2010年の30年間に都市-農村人口比は5:5から7:3の比に変化し、都市部には地方の同郷組織形成が見られ、それが地域住民の陳情・問題提起の活動において、地方-中央の政治的パイプとして機能することになる。

3章では、ソーシャル・キャピタル論を概観した後、アジア・バロメーター調査に基づき、フォーマルネットワークとインフォーマルネットワークの特徴が分析される。インフォーマルネットワークは家族・近隣集団の域を超えないが、モンゴルの場合、公教育機関や政府機関も規模が小さいためにクラスメイトや同職集団自体がフォーマルな組織においてもインフォーマルネットワークを構築する。そうした関係に情報や行動を乗せないことには行政手続きも進まないことが日常であると、モンゴル社会のタニルと呼ばれるネットワークを事例としてあげる。

4章では、民主化後も政府の肝いりで国民統制の道具でもあった官製組織が温存され、人権・社会権の拡張と制度化を目指すNGOと社会運動の間で主導権争いが展開されることが説明される。具体的には、モンゴル労働組合、モンゴル女性委員会、モンゴル退職者委員会、自然保護協会であり、2000年代に登場した老齢者協会(年金のインフレ目減り分値上げ要求)、1990年代から女性問題関連NGOの包括組織であった女性連合(モンゴル女性の役割とフェミニズムの理念的争い)、2000年に設立された環境協会(学識経験者の諮問組織かアドボカシーを担う団体なのかの争い)からそれぞれ挑戦を受けた経緯とその内容が明らかにされる。

5章では、NGOのネットワークの集積と市民社会との関係が論じられる。初めにNGOの定義、法的位置づけ(法人格)等の問題が説明された後、NGOの増加をめぐる背景として、海外NGOの進出(傘下NGOの形成)と高学歴女性の政治経済混乱期における有力な就職口として存在したことが説明される。

6章では、鉱山開発が地方において問題視され、環境保護を求める運動の結果、鉱山開発へのコンセッション停止措置に至るまでの流れを、ローカルな運動からナショナルな運動へ発展する過程として叙述している。

7章では、住民による抵抗運動の戦略がTsenher地区の事例から説明された。1500世帯中70%の人々は遊牧を生業としていたが、2005年に同地区で12の採掘資源調査権と7つの採掘権が、モンゴルとロシアの採掘会社に与えられており、そのうち主要な採掘事業は砂金の採掘で大量の土砂取得と排水を繰り返し、河川を泥河に変えていた。河川沿いのNariin Hamar谷での抵抗運動は作業車両の通行妨害等実力行使に訴えた。その他、ウランバートルにあるTsenher同郷団体に所属するエリート達が故郷の環境汚染等に憤って陳情を手助けする、このモンゴル会社相手に操業停止の訴訟を起こす際、弁護士の斡旋を行うなどの協力行動があった。会社と地方政府は相当の金銭を動かして落ち付け所を探ったと噂されたが、最終的には操業停止には至らず、13,000ヘクタールの採掘権が68ヘクタールに制限された。住民は必ずしも満足していないが、著者は社会運動として十分な成果を収めたものと評価している。

終章では、本論文の問題意識と理論的枠組み、各章の知見をまとめなおしている。

郭莉莉/河北経貿大学外国語学院・専任講師(課程博士)

人間システム科学専攻 博士(文学)

日中の少子高齢化と福祉レジーム―育児と高齢者扶養・介護―

本論文は、近年の福祉の多様な供給者や福祉の多元化に着目する福祉ミックス論のなかで最も参照されることの多いエスピン・アンデルセンの「福祉レジーム論」を基本的な視座とし、官製的/自生的地域組織による「共助」と近年のNGO/NPOや社会的企業による福祉サービスの二つを加えた東アジア特有の福祉レジームを理論化し、福祉政策の課題を発見することを目指すものである。そのために、中国と日本の福祉レジームを比較しながら子育て支援と高齢者扶養の二つの福祉領域において福祉制度がどのように構築され機能しているのかを把握するべく、中国と日本における福祉制度を既存研究によってレビューし、福祉施設への参与観察によって実態を把握し、施設運営者・利用者に対する面接調査を通して比較地域福祉論を構築しようとした。

第Ⅰ部では、日中をはじめとする東アジアの人口変動と福祉レジームを概観した。

第1章「東アジアの少子高齢化と福祉レジーム」では、まず、欧米諸国と比較し、東アジアの少子高齢化はどのような特徴を有しているかについて検討した。エスピン・アンデルセンの福祉レジーム論を批判的に検討し、東アジア諸国・地域を第4のカテゴリーとする「後発福祉国家」、「儒教主義福祉国家」、「生産主義福祉資本主義」、「ハイブリッド・レジーム」などを評価した後、日本と中国に特徴的な福祉レジーム論を構築する必要性を論じた。

第2章「日中の福祉レジーム」では、日中両国の社会保障・福祉政策の概要を時系列に整理し、両国の福祉レジームの特徴を検討した。日本の社会保障・福祉政策は、戦後、高度経済成長期、オイルショック後、バブル崩壊後の4つの時期を経て現在に至っている。日本の社会保障制度は、①国民皆保険・皆年金制度、②企業による雇用保障、③子育て・介護における家族責任の重視(特に女性に対する依存度が高い)、④小規模で高齢世代中心の社会支出などの特徴(厚生労働省,2012:35-36)を有している。一方、中国の社会保障・福祉政策は、毛沢東時代・改革開放以降の2つの時期を経て今日に至っている。毛沢東時代において、都市住民にとって国営企業を中心とする「単位」が、農民にとって共同生産・共同分配の「人民公社」が「福祉コミュニティ」である。改革開放後、「単位」と「人民公社」の崩壊に伴って、都市部では、1990年代に労働者を対象に養老保険、医療保険、失業保険、労災保険、出産保険の5種類の保険が制定されたほか、「社区福祉」の整備も進められている。

第Ⅱ部では、日中の少子化と育児支援構造の特徴を検討した。

第3章「日本の少子化と育児構造―札幌市の子育て中の親に対するインタビュー調査を通して―」では、日本の少子化現象と育児支援構造の特徴・問題点を検討した。インタビュー調査の結果より、核家族化、男性の長時間労働・育児休暇の取得の難しさなどにより、家族・親族による自助が常に協力的であるとは限らず、育児負担が母親に集中しがちであること、市町村やNPOによる地域の子育て支援サロンが、子育て中の親子に遊び、出会い、交流する場を提供しており、母親の育児支援の一助となっていることを確認した。

第4章「中国の『一人っ子化』と育児構造―北京市の子育て中の親に対するインタビュー調査を通して―」では、中国都市部の「一人っ子化」現象と育児支援構造を検討した。インタビュー調査の結果から、中国では、育児は、家族・親族間での相互援助、託児施設の充実、中高所得層でのベビーシッター・家政婦の利用などによって支えられており、まだ政策的課題として浮かび上がっていないことがわかった。

第Ⅲ部では、日本の高齢者扶養・介護をめぐる福祉資源の供給構造を検討した。

第5章「日本の高齢者を支える福祉資源」では、日本における家族の変容と老親扶養の変化を概観した。

第6章「小規模多機能施設による高齢者への共助的支援―札幌市・富山市のNPO法人の事例調査より―」では、「介護系NPO」によって運営されている地域密着型の小規模多機能施設に着目し、その特徴と役割を検討した。2つのNPO法人の事例を分析し、小規模多機能施設における高齢者ケアには、(1)家庭的な雰囲気とゆとりある生活リズム、(2)職員と利用者間、利用者同士の「なじみの関係」や「家族」のような関係の形成、(3)利用者の生活の主体者としての暮らし3つの特徴があることが確認された。そして、こうした小規模多機能施設は、(1)代表者の高い志と献身的な努力、(2)小規模ケアに対する職員の理解と意欲、(3)小規模多機能施設に対する地域の理解と協力、の3つの条件のもとで成立し、運営を継続していることも確認された。

第7章「高齢者介護と子育てをつなぐ地域密着『幼老共生ケア』―東京都小金井市のNPO法人の事例調査を通して―」では、「介護」と「保育」を融合した「幼老共生ケア」を行う小規模施設の特徴と役割を検討した。デイサービスと保育所、地域の交流スペースを同一施設内で運営する小金井市のNPO法人の事例を分析した結果、(1)家庭的な雰囲気とゆとりある介護(2)デイサービスを「ノンプログラム」(3)ドアを施錠せず、高齢者の「徘徊」に付き添うなど、利用者本位の介護(4)高齢者に敬意を払いながらの介護が明らかになった。

第Ⅳ部では、中国の高齢者扶養・介護をめぐる福祉資源の供給構造を検討した。

第8章「中国の高齢者を支える福祉資源」では、家族福祉を補完する「社区福祉」の現状を検討した結果、民間の養老施設に関しては、(1)一般企業との区分が非常に曖昧であり、基本的に市場メカニズムによって運営(2)入居費用が高く、中低所得層の高齢者が入居するのは難しいこと、また、「社区福祉」について、(1)市場性と福祉性の矛盾(2)「社区」は自力で財源を確保(3)住民主体で進められていないという諸特徴を把握した。

第9章 「『社区』在住都市高齢者の生活実態と福祉課題―北京市の2つの「社区」における事例調査を通して―」では、事例調査から(1)経済的扶養の面においては、都市高齢者は比較的手厚い都市部年金を享受しており、子どもに頼って老後生活をするという意識はなく、自立志向が高い(2)しかし、身体的扶養(介護)の面においては介護を子どもに頼りたいと考える一方で、一人っ子家庭の高齢者は養老施設や家政婦といった市場セクターに支援を求める(3)「社区養老」はまだ養老方式の1つとして定着していない、ことがわかった。

第10章「農村失地高齢者の生活実態と福祉課題―北京市郊外の3つの村における事例調査を通して―」では、3村における高齢者の事例を分析した結果、(1)中高年の失地農民は再就職の問題に直面している(2)政府の土地収用補償は「社会保険補償」へと転換しつつあるが、3村の失地高齢者の多くは、少額の土地収用補償金・村の年金しか受けていない(3)社区福祉といえるようなサービスはほとんど存在しない(4)こうした社会保障・福祉の不備を補っているのは高齢者本人とその家族による自助努力である、ことがわかった。

伍嘉誠(香港)/長崎大学多文化社会学部・助教を経て北海道大学大学院文学研究院・准教授

人間システム科学専攻 博士(文学)

Well-being and Religion in Hong Kong: From the Perspectives of Welfare, Social Capital, and Subjective Well-being

(香港におけるウェルビーイングと宗教―福祉、ソーシャル・キャピタル、主観的ウェルビーイングの視点から)

本論文は、少子高齢化が深刻化している香港を対象に人々のウェルビーイングと宗教との関係を論じるものである。 伍嘉誠氏は、ウェルビーイングの理論と調査方法論に基づいて、ウェルビーイングと宗教との関係を宗教団体によるソーシャル・サポート、ソーシャル・キャピタルの形成、主観的幸福感の増進という三つの機能に着目し、宗教団体やコミュニティの事例研究、世界価値観調査データを用いた計量分析を行い、香港社会において宗教が人々のウェルビーイングに対してどのような働きをなしているのかを考察した。

調査対象地域の香港は日本、韓国、台湾などの東アジア地域とともに、少子高齢化に直面しており、高齢者扶養の福祉制度や家族的対応が重要な課題になっている。英国領として経済発展を遂げた後、中国に返還された香港では、社会福祉の制度的充実に香港行政府が力を注がなかったために、キリスト教会と関連の福祉団体・NPO組織が福祉の主要なアクターになってきた。経済成長が停滞し、社会保障の制度的充実が頓挫し、福祉多元主義が進行する東アジアにおいて、香港を事例とすることで、急速な少子高齢化に対応できない社会保障、東アジアにおける社会福祉の将来像を展望できる可能性がある。

以下が各章の概要である。

1章では、従来のウェルビーイング研究の経済学、心理学、社会学の理論が紹介され、宗教社会学の視点からウェルビーイングにアプローチする意義が検討される。次いで、Veenhovenのウェルビーイングの分類法(livability、life-ability、utility of life、appreciation of life)に基づいて、宗教とウェルビーイングの関係をlivability、life-ability、appreciation of lifeの三点から考察する理由について説明している。次いで、研究方法として多角的アプローチ(量的・質的研究方法の組み合わせ)、資料(World Value Surveys 2013、NGOへの面接調査、政府統計と文献)が説明される。

2章と3章は、マクロ的な分析である。2章では、福祉レジーム論、東アジア福祉モデルを略述し、香港、日本、台湾、韓国の福祉制度・理念(儒教文化の影響、欧米に比べ政府の福祉支出が低い、家族扶養の伝統など)と発展について述べられる。その後、東アジアの福祉モデルは、少子高齢化による福祉支出の増加、個人化による家族扶養の伝統の衰退(一人暮らし、夫婦のみ家族の増加)などの社会変動による影響を受けていることを各政府の統計よって分析する。ますます増加する高齢者福祉のニーズに対応するために、宗教の福祉機能が増加すると予想されることが示唆される。

3章では、歴史的資料、NGOへの面接調査、政府統計と文献に基づいて初期イギリス植民時代(1842-1941)、二次世界大戦と日本統治時代(1941-1945)、戦後の香港社会における人口急増(1945-1960)、経済発展による格差と社会不安:スターフェリー暴動と67暴動、福祉制度の本格的な展開(1970~)の5つの時期に分けて、香港の社会福祉における宗教の役割について考察している。また、現在社会福祉を行う宗教団体(香港仏教連合会、香港道教連合会、嗇色園と円玄学院、カリタス香港、香港クリスチャン・サービスなど)の発展や福祉サービスについて分析されている。以上の分析によって、香港は植民地時代から現在まで、社会福祉において宗教団体、特にキリスト教会が大きな役割を果たしていることが明らかとなる。

4章と5章はメゾレベルの考察である。4章では、五つの高齢者コミュニティの事例によって宗教とソーシャル・キャピタルの形成について考察している。キリスト教会と一貫道仏堂での参与観察、宗教活動に参加しているキリスト教の高齢信者10名と一貫道の高齢信者12名へのインタビュー調査によって、信者は同じ信仰と世界観に基づいた家族のような強い絆で繋がっていることを明らかにした。そしてその信仰に基づいた「家族的感情」が信頼・互酬性の基盤となっており、信仰が提供する利他的文化(隣人愛、功徳など)が高齢者のボランティア活動の参加と援助行為を促進すると考えられるとされている。一方で、世俗団体である老人センター、高齢者向けサークル(歌謡、ダンス)は、高齢者の趣味活動を促進できる空間を提供しているが、共通した強いアイデンティティや道徳的制約が弱いため、ネットワーク、信頼、互酬性の形成の面で限界があるとされる。このように、宗教が提供するコミュニティや社会参加機会は、高齢化に伴い減少していくネットワークを補足できると考えられるのである。

5章では、「楽動の友」と「寧安計画」という二つの高齢者サポートプログラムの事例を取り上げる。「楽動の友」はアクティブな退職後生活を促進するプログラムであり、キリスト教系福祉団体である香港クリスチャン・サービスはこのプログラムの支援団体として、活動の場所、アドバイス、情報などを提供している。「寧安計画」は、同じくキリスト教系福祉団体であるカリタス香港によって提供されている高齢者に葬式のサポートを提供するプログラムである。参加者は、家族から援助をもらえない一人暮らしや夫婦のみ家族、低収入の人が多く、家庭訪問、集会、社交活動なども行なわれる。この二つの事例から見ると、キリスト教系組織は高齢者の社交やソーシャル・サポートを支援するプログラムを積極的に行っていることがわかる。

6章と7章はミクロレベルの考察である。6章では、個人レベルにおいて、宗教と香港の高齢者の主観的ウェルビーイングとの関係を考察するため、キリスト教徒高齢信者と一貫道信者の高齢信者へのインタビューに基づいて、ナラティブ分析を行っている。体験的ウェルビーイングとしては、信仰が提供する三つの要素、つまり、「死後の世界が約束されていること」、「神仏からの守護」、「対処メカニズム」、が脆弱である高齢者(死への恐怖、生活に対する不安など)にとって希望、安心感、肯定的な意味で資源となっている。また、心理的ウェルビーイングとしては、宗教に参加することによって、「宗教知識の学習」、「ほかの人を助けること」、「教団の活動、行政、儀式を手伝うこと」ができるため、それらは高齢者にとって個人成長・人生の新しい意義に繋がっている。

7章では、世界価値観調査(2013)のデータを用いて、香港社会において、宗教変数と生活満足度の関係を分析している。社会経済属性を統制した後に、「神様を重要に思うこと」と「教団での活躍度」が生活満足感に正の相関を示している。また、性別、年齢、収入、健康という社会経済属性は生活満足感の説明要因であるが、宗教変数の効果は有意であることを示している。

終章では、本論文の問題意識と理論的枠組み、各章の知見をまとめなおしている。

クーチャルーンパイブーン・シリヌット/タイ ナレースワン大学助教授

社会運動論の観点から見るタイ-日における学生運動及び学生政治意識

本研究では、1970年代前半に始まるタイの愛国的な日本製品不買運動と反軍事政権運動の実態を、タイの複数の日刊紙による記事の内容分析と、社会運動論的視点からイベント分析を行い、それに対応させて同時代の日本の政治運動や学生運動を分析した。次に、タイ・日本共に1980年代から2000年代まで学生運動停滞の時代を迎えたが、2006年のクーデター以降不安定化した政情において、ソーシャル・メディアを使って社会問題や環境問題への政治的提言を行う学生グループが登場した。これを日本のSEALDsとの対応において事例として比較分析し、同時に、日本の学生における政治的有効性感覚の調査と対をなす政治意識のアンケート調査をタイの複数の大学において実施し、日本・タイの学生政治意識と政治参加の方法の相違を考察したものである。

第1章「社会運動・学生運動の科学理論」では、まず、社会運動の機能や運動の発展と衰退を説明する社会理論について述べた。本研究では、資源動員論、政治機会構造論、フレーミング論の理論的な視点を用いてタイと日本における学生運動の様々な側面を考察することになる。

第2章「学生運動の科学理論 ・タイ日における学生運動の萌芽」では、学生運動の概要を述べた後、タイと日本の学生運動の発展経路についてまとめた。タイでは軍事独裁政権下で学生の政治活動は困難であったが、1973年の政変後、政治的言論の自由が認められ、学生運動の発展につながった。その後、運動は隆盛と衰退を繰り返したが、学生運動がタイ民主化の発展に重要な位置を占めていた。一方、日本では戦後、高等教育が大衆化する中で権威主義的な大学の体制批判や授業料値上げなどの問題が学生運動を引き起こす要因となった。

第3章「タイ日における政治社会的概況」では、タイと日本の学生運動、学生の政治意識を理解するために知得すべき社会的政治的な概況をまとめた。タイ学生運動の発展や停滞を規定する要因として、政治機会の開放と閉鎖、中間層の誕生、増加した学生及び学生の質の多様化、政治への不信感、タイ的ナショナリズムなどが挙げられる。一方、日本では戦後のアメリカの民主化政策に伴い、学生に政治的言動の自由が与えられ、60年安保闘争、ベトナム反戦運動、学園闘争など学生の政治参加が活発となり、日本の社会運動の基盤を作った。

第4章「タイにおける1970年代の学生運動の実態」では、学生運動に関する新聞記事をデータ化し、学生運動の運動担い手、運動領域、運動形態を分析した。70年代のタイ学生運動は少数学生グループ、タイ全国学生センター、職業・教員養成専門学校の学生が主な運動主体であった。運動は政治、教育、国内の社会問題に集中した。運動形態では、抗議の申し入れ・陳情、特に声明の発表といった制度内的なレパートリーが採択された。このような学生運動の背景には、国家開発政策による学生数の増加及び学生の質の多様化があった。学生は集団を形成し、政治を議論することで、政治への意識が高められた。さらに、知識・指導力を持つ人的資源、政治への接触機会の増加など、様々な資源が当時の学生運動に重要な意味を持ったといえる。

第5章「日本における1970年代の学生運動の実態」では、先行研究や二次資料の考察を通じて60年代末の日本学生運動の実態を追究した。当時の学生運動の担い手はベビーブーム世代=全共闘世代であった。この世代は、平和教育を受けながら、ベトナム戦争や高度経済成長に直面した世代でもある。そのため、彼らは将来への不安とアイデンティティの葛藤を抱えており、それが大学への不信感と相まって大学闘争という形で表出した。運動形態においては、当初は共同体を尊重したが、次第に個々の自由参加になり、現在の形態として定着した。

第6章「1970年代タイにおける学生運動参加者のアイデンティティ」では、運動参加者がいかに運動に関わったのかを究明するために聞き取り調査を行った。対象者は運動に関わる前から、社会の矛盾や政治に強い関心を持ち、自発的に運動に参加したとみられる。それを促したものとして、「学生としての責任感」「軍事独裁政権への抗議」「民主化思考」などの内的意識、能力を持つ運動指導者、運動のノウハウなどが挙げられる。さらに、家族による第一次政治的社会化の過程と、教育や学生間のコミュニティーにおける第二次政治的社会化が大きな影響を与えたと考えられる。

第7章「1960年代日本における学生運動参加者のアイデンティティ」では、60年代末の大学闘争参加者の聞き取り調査の内容をまとめた。「知り合い」「社会主義との接触」「平和教育」「階級意識」「学生意識」などが運動参加のきっかけとなったことが分かったが、大学闘争の主要因として説明されてきた教育の大衆化への不満は、本研究の対象者からは指摘されなかった。タイの運動参加者が感情的な要因により参加したのに対し、日本の参加者は理論的視点が強く見られた。

第8章「タイ学生の政治意識・行動 ―政治的有効性感覚・政治参加を中心に―」では、現在のタイの高等教育の状況を述べた上で、学生の政治意識・政治参加について考察した。まず、政治的有効性感覚では、政治に直接影響を与えられるといった内的有効性感覚は強いが、政治家や政党への信頼といった外的有効性感覚は弱い傾向が見られた。その理由は、政治家が期待された役割を遂行していないことや近年の政治混乱にあると考えられる。政治参加に関しては、選挙以上の行動を行わない傾向が見られた。その理由は、政治の巨大化、複雑化からくる無力感にあると見られる。

第9章「日本学生の政治意識・行動 ―政治的有効性感覚・政治参加を中心に―」では、日本の若年層の政治意識・行動について、様々な調査データを用いて示した。政治的有効性感覚においては、絶対的な水準は高くないが、20代で最も低下し、加齢につれて上昇することが確認できた。政治参加では、タイと同様に政治の複雑さが不信感・無力感を生じさせたと見られる。また、従来と異なり、政治参加は自由化・個人化しつつある。最後に、若い世代ほどインターネットが重要な情報源であるが、それらの情報の信頼性は高いとは言い難い。さらに、自発的な政治的情報の交換などは少ないと見られる。

第10章「タイと日本における若年層の政治参加―ダオディングループ・ゆとり全共闘・SEALDsを事例に―」では、近年、活動している学生グループを取り上げ、その活動のきっかけ、思想、運動手段などを考察した。まず、「ダオディン」は、当初、環境問題に対して活動を始めたが、その後、運動のフレームをタイ社会が直面している民主化問題に整合させ、共鳴を獲得しようとした。一方、「ゆとり全共闘」及び「SEALDs」は東日本大震災と原発事故を契機に結成された。「ゆとり全共闘」は、就活問題や学内規制、「SEALDs」は安保関連法案・特定秘密保護法、運動の課題は異なるが、いくつかの共通点が見られる。まず、両者ともSNSを活動の拠点として利用している。また、いずれもリーダーに権限を集中させず、個人の意見及び参加の自由を尊重する考えに基づくものである。

金昌震(韓国)/札幌大学短期大学部・准教授

少子高齢化社会における日韓比較―子育て支援、高齢者扶養・介護を中心に―

本論文は、日本と韓国の子育て支援と高齢者支援を比較対照しながら、東アジアにおける少子高齢化対策のあるべき姿を探ったものである。具体的には、日本の地域子育て支援センターと韓国の保育情報センターでインタビュー調査を行って利用者のニーズや施設の課題を明らかにし、また、日本の小規模多機能施設における保育・養育・介護の統合的ケアの事例と、韓国の敬老堂・老人福祉館による施設利用の事例を比較した。日韓共に施設ケアではカバーできない共助的支援が増えており、ソーシャル・キャピタルやソーシャル・サポートの観点が事例の分析に活かされている。

第Ⅰ部では、日韓両国における少子高齢化と社会保障・福祉を概観した。

第1章「日韓の少子化現状とその背景」では、現代の日韓両国における少子化の状況を比較し、少子化が引き起こされた社会的要因を概観した。 (1)政策的には経済成長のために強制的に推進された人口抑制政策により少産化が生じたこと、(2)経済的には長期不況や金融危機などにより雇用・所得が不安定化となったことや女性の社会進出による機会費用・子育て費用の増加などにより非婚化・晩産化が進展したこと、(3)文化的には、子どもを持つ意味と価値が下がったこと、(4)社会的には地域の社会関係資本として機能していた子育てコミュニティの崩壊や希薄化により子育て負担・負担・ストレスが増加したことなどがあげられる。

第2章「日韓の社会保障・福祉と少子高齢化対策」では、日韓両国の社会保障・福祉政策の経緯を整理し、社会保障・福祉政策としての少子高齢化対策の特徴を検討した。日本では経済の低成長のなか、人口の少子高齢化に対応できる持続可能な社会保障・社会福祉政策の構築が大きな課題として認識されている。一方、韓国の社会保障・福祉政策は少子高齢化が一層進展する中、持続可能な社会保障を構築するために今まで堅持してきた「低負担・低福祉」のモデルから「適正負担・適正福祉」モデルへの転換が必要とされている。

第Ⅱ部では、日韓の少子高齢化社会の到来と子育て支援構造の特徴を比較し、検討した。

第3章「日本の子育ての社会化と子育て支援の取り組み―札幌市の子育て中の親に対するインタビュー調査を通して―」では、札幌市の子育て支援施設(子育て総合支援センター、児童会館)の利用者への半構造化インタビュー調査の結果より、次の結論を得た。(1)核家族という家族構造の変化と「性別役割分業意識」「三歳神話」による子育て負担が母親に集中しがちである。(2)子育て支援施設で活動する地域の民生委員、NPO、ボランティ団体の子育てサークル、子育てサロンは、子育て中の親子に遊び、交流、相談の場を提供している。 (3)今後、子育て支援施設を設立する際に、既存の子育て支援施設との連携が期待される役割をソーシャル・キャピタル機能の観点から検討する必要がある。

第4章「韓国の少子化と子育て支援―ソウル市の子育て中の親に対するインタビュー調査を通して―」では、韓国都市部の少子化現象と子育て支援構造を分析した。ソウル市の子育て支援施設(育児情報支援センター)の利用者への半構造化インタビュー調査の結果より、次の結論を得た。(1)韓国における子育て支援は、先に家族・親族からの援助があって、その次にオリニジプ(保育施設)・幼稚園・塾などの民間保育・教育施設と育児ドウミ(時間制ベビーシッター)の利用がある。(2)都市化・核家族化による家族規模の縮小は自助の家族・親族援助を中心とした支援構造の維持が困難になる。(3)政府(公助)による地域の子育て支援拠点になる「一定の空間」を設けることを提案したい。

第Ⅲ部では、日韓における少子高齢化社会の到来と高齢者扶養・ケアについて検討した。

第5章「日韓の高齢者の生活と高齢者福祉」では、まず、高齢化の理論的考察として、「人口転換理論」「社会成熟論」から、高齢者扶養については「社会交換理論」「役割理論」「家族主義」などから概観した。次に、日本と韓国における老親扶養の変化を家族の変容の文脈で概観した。親子間の扶助や資金提供の方向性についても、日本は親から子への一方向的な傾向が見られたことに対し、韓国では親と子に相互的な移転の傾向が見られた。

第6章「日本の共助的支援による高齢者ケアの取り組み―富山市の「しおんの家」・東京都小金井市の「また明日」の事例調査を通して―」では、最初の事例として子どもの「保育」と高齢者の「介護」を融合した「共生ケア」を行う小規模多機能施設の特徴を検討した。

小規模多機能施設は、高齢者ケアの支援だけではなく、地域住民の福祉に関する相談の窓口や地域交流の場を提供するため、交流イベント・趣味教室・コミュニティカフェなど「地域を受け入れる」行事を運営している。また、「地域に参加する」行事として、地域のゴミ担当・草取りや祭への参加など、地域福祉の向上に寄与していることが明らかになった。

第7章「韓国における高齢者ケアの共助的取り組み莞島郡・大邱市の高齢者施設の事例調査を通して―」では、韓国の都市部と農漁村部の高齢者施設の特徴や機能をソーシャル・キャピタルの観点から検討した。高齢者余暇福祉施設である「老人福祉館」(フォーマル)と「敬老堂」(インフォーマル)の事例を分析した。ネットワークの観点から2つの施設を比較してみると、「老人福祉館」は、地域に散在する「敬老堂」とネットワーク(bridging social capital)を形成し、敬老堂活性化支援事業として地域の福祉資源(人的・物的)を「敬老堂」に提供している。一方、「敬老堂」は、地縁に基づいた同質的な結びつきで、内部には高い信頼と親密な関係による強いネットワーク(bonding social capital)が形成されている。以上のように、「老人福祉館」の公助的支援に「敬老堂」の「共助」が活性化され、共助的な集まりのなかで「互助」が生まれてくることが確認された。高齢者福祉施設は、地域の中間集団として高齢者福祉を向上し、高齢者セーフティネットとしての機能がより期待できる。

終章では、各章の要約の後、本論文の目的である福祉主体の多元化による日韓の共助的取り組みに着目し、その役割を担う地域のコミュニティ・中間集団の福祉主体の役割と意義、そして課題の説明をした。その上で、次の提言をまとめた。すなわち、韓国社会では、急速な少子高齢社会、多民族・多文化社会への変貌、経済格差の深化などが大きな課題であり、家族機能の低下、多文化家庭(国際結婚カップル)の子どもの増加、貧富の格差に対処するために、地域に存在するボランティア団体やNPOなどの共助的な供給主体が行政、市場などと連携し合い、福祉サービスを提供する取り組みの導入が必要である。日韓両国の事例から発見できたこのような考え方や取り組みは、ポスト福祉国家以降、北欧福祉国家モデルと異なる日韓の独自の福祉モデルとして形成していくのか、現実の問題として「少子化する高齢社会」の諸問題にどこまで対応していくのか、については、本論文の事例研究の示唆だけでは不十分であり、今後の研究課題として残されていることを確認した。

工藤遥/北海道拓殖大学・助教

地域子育て支援の施策と課題―子育ての私事化/社会化をめぐって―

本論文は全11章で構成されている。序章では、研究の背景・対象・目的と、各章の構成を提示した。第一章では、先行研究に基づき「子育ての私事化/社会化」の概念及びその論点を整理し、本研究の分析視点を提示した。第二章では、子育てをめぐる社会関係や社会規範に着目し、日本における「子育ての私事化/社会化」の歴史的展開を整理した。

第三章から第五章では、本研究の主な調査地域である北海道札幌市において実施した参与観察調査及びインタビュー調査(調査A)に基づく知見をまとめている。第三章において利用者における「私事化した子育て」の困難と問題点を明らかにし、第四章においてひろば型支援と一時預かり保育支援の利用ニーズと課題、第五章において制度的支援と関係的支援の相互関連等を育児サロンの運営事業組織(札幌市の育児支援センター、児童会館、地域会館、NPO型)ごと考察した。

第六章・第七章では、札幌市において乳幼児健診受診者を対象に実施した質問紙調査(調査B)に基づく知見をまとめている。第六章においてひろば型支援の利用者と非利用者の特徴を明らかにし、支援の利用状況と、子育て家庭の育児ネットワークや社会階層的特徴を明らかにし、第七章において利用を抑制する要因として三歳児神話のような子育て規範意識等との関連を分析した。

第八章・第九章では、札幌圏及び首都圏の大都市と小都市において行った事例調査(調査C)に基づく知見をまとめている。第八章においてフィンランドから導入されたワンストップ型子育て支援サービスルであるネウボラ制度の応用例として千歳市と和光市の事例を紹介し、第九章において世田谷区の事例を紹介しながら、多機能型支援とワークスペース型という近年の地域子育て支援の制度展開と支援施設の機能変容を述べ、札幌市の支援の課題等を考察した。終章では本論の結論と子育ての社会化にかかる現代日本の政策的課題をまとめている。

本論文の結論は以下の通りである。

まず、地域子育て支援の中でも、ひろば型支援(子育てサロン等)は、「子育ての外部化」や「子育ての共同化」を促進する機会財として機能している。地域における子育て空間や子育て親子に関わる社会関係の拡大に寄与し、制度的・関係的支援双方の利用可能性を高める機会・資源となり、福祉コミュニティの形成基盤となる可能性も有している。ただし、ひろばが「遊び場」機能にとどまった場合には、「子育ての個別化」や「子育ての再家族化」といった問題も孕んでいる。また、ひろば型支援の利用者の社会階層的同質性や集団的閉鎖性は、支援の利用に困難を抱える層を排除・孤立させる逆機能としても作用しうる。いわゆるママ友による結束型の社会関係は、新規参入者に利用を抑制させる要因ともなる。したがって、利用者及び子育て支援の担い手が女性に偏る「子育てのジェンダー化」や、同質的な母子集団が地域社会の中で「孤立化」する状況の改善も必要である。

一方、預かり型支援としての一時保育は、有人や家族・親族などの育児ネットワークによる「預かり」サポートに限界がある世帯において特に高い利用ニーズがみられる。利用者は「子育ての外部化」によって育児負担を軽減でき、一時保育の手軽な利用が子育ては母親の責務というジェンダー規範意識を変化させ、「子育ての脱ジェンダー化」としての機能を持つ。他方で、利用には子育て家庭の所得階層や家族・親族や友人といった子育て資源が関連しており、利用者の経済的・心理的ハードルが確認された。

以上のような課題を乗り越えていくために、子育て家庭相互の、そして子育て家庭とその他の多様な社会成員間で「子育ての社会化」を促進する方策を、先行自治体の取り組みを参考に考察した。一つは、利用対象を限定したり特定のテーマを設定したりすることで利用者の多様性を拡大し、かつ利用者相互の交流機会を拡充することである。二つ目は、地域の多様な支援団体や事業の相互連携によって支援の地域偏在や施設によるサービスの格差を是正するべく、行政が民間支援をバックアップすることである。三つ目は、ひろば型支援施設においても預かり型支援を実施したり、利用券の導入によって経済的・心理的ハードルの軽減したりすることである。そのことによって、支援利用の相乗効果と孤立予防が可能となり、就労支援との連携による「子育ての脱ジェンダー化」も将来的に望めるようになろう。また、地域における多様な子育て支援を存続させていくためにも、この分野における公的責任と公的支出の改善が必要であることを指摘した。

本研究では、すべての子育て家庭を対象とした「地域子育て支援」という新しい福祉実践に着目し、これらの利用者と非利用者の双方を調査対象として、支援利用の実態と課題を社会調査から把握した。また、自治体、NPO、地域ボランティアなどの多様なアクターの役割、制度的支援と関係的支援の類型別の特徴を比較し、子育て支援の諸事業の融合的展開などをふまえたうえで、「子育ての社会化」という政策的課題を複数の事例調査から考察した。既存研究とは異なる調査対象、調査方法、分析レベル、着眼点等から「子育ての社会化」を論じた点に本研究の特色がある。多様な生活世界に生きる人たちをライフスタイルや社会経済的階層を問わず包摂し、社会的孤立やケアの抱え込みを解消していけるような包括的かつ持続可能な支援体制の構築に向けては、今後も継続的な課題把握・検証が必要とされる。

清水香基/北海道大学大学院文学研究院・助教

日本人の宗教意識の諸相と主観的ウェルビーイング―計量的データ分析と検討-

本論文は全8章で構成されている。全体は2部構成であり、前半が先行研究のレビューやデータの二次分析にあてられ、後半において自前の調査データについて分析・考察を加えている。

「はじめに」では、研究の背景・対象・目的と、各章の構成を提示した。第1章は宗教とSWBに関する先行研究の整理にあてられ、宗教性のSWBに対する寄与を説明する諸理論をまとめるとともに、各理論に対応するかたちで展開されてきた各国の実証的調査研究を紹介している。日本の宗教研究においては、キリスト教や新宗教など自覚的な信仰心を持つ一部宗教を対象とした研究にとどまっており、広く一般人の宗教意識や宗教行動を取り上げた研究がなかったので、それを行う意義を指摘した。

第2章では、日本を含む総合的社会調査に基づいたデータとして世界価値観調査やISSP国際比較調査の2次データ分析から、全般的傾向として伝統的な宗教意識の衰退(世俗化)を確認した。ただし、日本の分析結果については、使用する質問項目によって結果のばらつきが大きく、既存データに収録されている宗教項目が欧米と機能的に等価な働きをする宗教意識(宗教的熱心さや信仰の有無など)を補足しているとは言い難いとされる。そのために、日本人の宗教心を構成する潜在的な要素を探るべく、3章と4章において潜在変数の探索と機能的に等価な変数との関連の分析が試みられた。

第3章では、NHK放送文化研究所の「日本人の宗教意識」の時系列データの2次分析を行い、14個からなる宗教意識の世代間比較を行った。その結果、「伝統的な宗教の実践形態をモデルとした規範的な宗教的行動・信念」において、世代交代に伴う信じる人の割合の低下が認められ、それに代わる新たな「必ずしも特定の神や仏を必要とはしないが、超自然的(神秘的)な世の中の秩序を志向するという意識」が出現しつつあることが確認された。

第4章では、第3章で使用したデータを元に潜在クラス分析を行い、「墓参りの習慣」「伝統的な信心」「現世ご利益志向」「スピリチュアリティ(個人化した宗教)」「制度的な宗教意識」の5つに類型化し、宗教意識の尺度とすることを提案した。このうち墓参りの習慣以外は、「保守的な性規範」「政治参加や保守的な政治意識」「主観的ウェルビーイング」と正の相関関係にあることが認められたが、2次データからの検討には限界があり、わずかな寄与しか認められなかった。

以上の先行研究のレビューと二次分析を踏まえて、第II部「全国調査を用いた宗教と主観的ウェルビーイングの構造および関係に関する実証的分析」がなされる。

第5章では、2017年7月に実施された「宗教と主観的ウェルビーイングに関する調査」(全国200地点の地域・市郡規模別の各層に比例配分し、住宅地図データベースから世帯を抽出した有効サンプル1200票の戸別訪問留置調査)の概要をまとめ、社会階層、健康、人間関係に関する項目はSWBと高い正の相関関係にあること、宗教に関する行動や信念を尋ねた項目も、弱いながらもSWBと正の相関関係にあることが認められた。

第6章では、第一部の二次分析で行った潜在変数の探索を行うべく、探索的データ分析に基づいて、日本人の宗教意識およびSWBの構造についての検討を行った。因子分析の結果、宗教的行動や信念はいずれも「伝統・慣習的な側面」「制度宗教的な側面」「スピリチュアルな側面」の3因子からなることが示された。SWBに関して言えば、「主観的幸福感」には近しい人間関係や個人の性向が寄与するとことが大きく、「生活満足度」には個人の客観的な生活状況が寄与することが大きいという特徴を有していることが示された。

第7章では、宗教意識のうち「伝統・慣習的な側面」と「制度的な側面」はSWBと正の相関関係にあり、「スピリチュアルな側面」と負の相関関係にあることを確認した。ただし、SWBにより強く寄与するのは「行動」よりも「信念」であり、「行動」は「信念」を媒介することで「間接的な効果」としてSWBに影響しているとされる。また、宗教団体に所属し、かつ宗教心の高い人たちが最も高い幸福感を示す一方で、宗教心を伴わない宗教団体への所属は、むしろ幸福感を低下させる可能性があることが示された。

第8章では、本論文の主要な知見をまとめるとともに、日本の宗教研究やウェルビーイング研究における意義と今後の課題について述べられている。本論文における分析結果は、日本でも欧米諸社会と同様に、宗教意識が個々人のSWBに寄与することを指し示している。従来、日本人の宗教意識や行動はウェルビーイングとは関連しないという研究が複数あったが、今回の総合的社会調査データに基づけば、健康状態やメンタルな心理変数ほどではないが、潜在変数から構成される日本人の宗教意識がウェルビーイングに寄与しており、こうした研究は宗教意識を測定する尺度構成や分析手法にも依存していることが計量研究によって明らかにされた。今後の課題としては、特定の宗教意識や宗教行動がなぜSWBと関連するのかを因果論的モデル構成を行って検討することがあげられる。

付録には、「宗教と主観的ウェルビーイングに関する調査」の調査票と質問ごとの単純集計一覧を記載している。

佐藤千歳/北海商科大学・教授

中国社会における宗教の役割と政教関係-政権移行期にみるキリスト教非公認教会の生存戦略と社会参加-

本論文は序章も含めて全8章で構成されている。全体は3部構成であり、1部が理論的考察、2部が教会の事例研究、3部がFBOの事例研究となっている。

序章では、研究の背景・対象・目的と、各章の構成を提示した。

第1章は胡錦濤政権から習近平政権への政権移行期に相当する時期の中国社会の特徴と課題を提示し、権威主義体制による政治が混合型経済を運用する統治形態により、社会主義とポスト社会主義が入り混じった混合的な社会状況が生じたことが示された。また、上述の統治形態を「中国モデル」と名付け、その持続可能性をめぐって複数の立場が存在した状況を経て、中国モデル論が主流言説となったことが指摘された。宗教が社会主義体制に適応するよう求めた習近平政権の「宗教中国化」政策は、中国モデル論を党の公式イデオロギーとする過程の一部として位置づけられることも示された。そのうえで、混合的状況にある中国社会において、中間集団の活動が活発化したこと等を踏まえ、分析枠組みとして中間集団論の視点から宗教集団を検討することが示された。これに関連し、党・国家が、社会領域を①体制内勢力、②敵対勢力、③中間地帯の勢力の3つに分別し、それぞれ異なる手法で対応する戦略をとったことが示された。体制内勢力を行政の補完に動員し、中間地帯は体制内勢力に転じるよう介入する方針は、政権移行期を通じて変化はなかった。他方、胡錦涛政権では党と行政組織の分業が進み、党・国家の介入が及びにくい社会の基層に中間集団の活動空間が生じたのに対し、習近平政権は中間集団を選別する過程について法制度による規範化を進め、社会統制が強化されたことが指摘された。

第2章では2010年代の宗教状況と宗教政策が分析された。2010年代の政権移行期を通じて、共産党政権の宗教政策の重点は、宗教集団の社会参加を促して権威主義体制の統治を補完させる「管理と利用」から、権威主義体制への適応を重視する「管理と統制」へと段階的に変化した。宗教状況では、宗教人口は公認宗教のみで2010年代後半に約2憶人とされ、公認宗教制度以外の宗教実践も盛んだった。本研究が主な調査対象としたキリスト教プロテスタントは、教会組織や活動形態が柔軟であり、多様化した個人のニーズや生活様式に対応したために教勢を拡大したことが指摘された。このうち非公認教会の信者は全体の約3割と推計され、階層や地域、教派ごとに分かれて教会を形成しており、政教関係では、多数派の非公認教会は当局との対話による融和的関係を志向する傾向が強いことが示された。

第3章から第6章は事例研究であり、第3、4章で第2部を構成し、非公認教会が活動空間を確保する戦略と、その社会的役割がそれぞれ分析された。

第3章は、民主化運動と非公認教会、「維権」という社会運動の3者が結びついた教会を事例とした。教会が、党・国家によって言論空間から抹殺された記憶を社会の少数者が共有し、参加する個人に帰属感をもたらす場となったことが描かれた。また、信仰の立場から個人の経験を再解釈することにより、中国の社会状況を反映した新たな教義理解を形成する場となったことも示された。

第4章は、プロテスタント信者が集中する地域の非公認教会を事例とし、宗教統制の厳格化に直面した信者が、政府との対決・交渉・服従と複数の対応を使い分けながら活動空間の確保を試みる過程が描かれた。教会が、信者の立場を束ねて党・国家に異議申し立てを行い、宗教活動の空間を獲得するために国家と交渉する役割を果たしたことも指摘された。

第3部は第5、6章から成り、非公認教会に基盤を置くFBO(宗教的背景を持つNPO)による福祉分野と教育分野における社会参加の実態と、社会的な役割が分析された。

第5章は、非公認キリスト教会に基盤を置き、児童養護施設を運営する2つのFBOを事例とした。中国のNPO全体においてFBOは少数派であるが、福祉分野ではキリスト教系の非公認組織の比率が他分野より高い。事例としたFBOは、地方政府との相互依存関係の形成や、地域社会のニーズに応えることで活動の正当性を獲得し、長期にわたり活動を維持した。2010年代半ば以降は、福祉政策や宗教政策の規範化が進み、従来の生存戦略の有効性が薄れた。これに対し非公認FBOが、活動規模の縮小や、国家の諸制度にパッチワーク的に適応することにより、活動空間をつなぐ生存戦略を試みたことが示された。

第6章は、2010年代に設立されたプロテスタント非公認教会による教育機関「教会学校」を事例とし、国家の支配的イデオロギーを信仰の立場から受け入れられない保護者に対し、キリスト教の教義に基づく新しい教育の場が提供され、信者同士を繋ぐ場ともなったことが示された。教会学校は、公認宗教制度および国家の教育制度の双方において制度外にある教育機関で、中国の公教育の理念的支柱である愛国主義教育に代わり、聖書の学習とプロテスタント信仰の実践を教育活動の中心に置いた。事例とした教育機関が、不安定な教育環境にもかかわらず広範囲に生徒を集めた理由として、保護者であるプロテスタント信者が公教育に懸念を抱き、教会学校の設立者が示した「教育主権」の思想を支持したことが指摘された。しかしながら、福祉行政の欠落を埋めた第5章の事例と比べ、国家の教育制度を否定し代替しようとした第6章の事例の活動空間が、より不安定であったことも指摘された。

第7章は結論と課題であり、胡錦濤政権から習近平政権へ移行する時期において、非公認キリスト教教会と関連団体が、統制的行政管理の下でどのようにして宗教・福祉・教育活動を継続させてきたのかをまとめ、宗教集団には中国の公共空間において果たす中間集団の機能があるとの結論に到っている。